父・栄三の入院によって急きょ、勤めていた商社から名友産商へ戻ったのが2 5 歳のときでした。
その後、父は急死。私は、経営指標も読めないまま、事業を継承する事になりました。
そして、会社の財務状況、経営者の目で会社の本当の姿を見たとき、その惨憺たる状況にがく然としました。もともと南の家系は金物屋。しかし今はもうありません。商いを続けていたのはうちだけだったのです。
だから、私の代でやめるわけにはいきませんでした。その一心でがむしゃらに走り続けたある日、今度は自分が病に倒れ、今度こそはもうだめかと、あきらめかけていた時でした。
そんな時、会社を助けてくれたのは、社員さんたちでした。私が療養でしばらく席をあけることにも、『社長がいなくてもがんばりますから大丈夫ですよ』と、頼もしい返事が返ってきました。専務を務める弟の豊信からも支えられ、私は療養に専念し、病を克服することが出来ました。
そこで、私は「名友産商」という名前の由来を思い出します。やはり私も、周りの人たちに支えられ、経営が出来ていたのです。
だから、働く社員さん、パートさんが、本当にここで働けてよかったと思える会社にどうしてもしていきたい。製造メーカーとして、絶対に他社に負けないプロフェッショナル集団をつくる。製造業の新しい可能性を海外にまでも発信できる、そんな会社にしたい。その夢を実現するために、社内を活気あふれる環境にしたい。いっしょに目一杯仕事をし、目一杯遊ぶ。そのために自己成長を望み、地道にコツコツと勉強する。仕事を通じて知り合った人々と協力し合い、技を磨き、お互いが感謝し合える、喜びのパートナーシップをつくる。それが私たち名友産商の精神です。
そして2 1 世紀の今、名友産商は、ありがたいことに自動車産業のみならず、医療などあらゆる分野の製造業に関わらせていただいています。創業時の思いが、こうして花開きました。これからも、日本の製造業の底力であり続けたいと願っています。